2022年3月にご退職された現代文の先生へ向けた連作
1年間だけの本当に小さな、授業ぐらいでしか関わりはなかったけどとてもだいすきな先生でした
届かないラブレターをまたまた詠んでいます
↑小説ハイライト | 装丁カフェでつくりました〜 動画も残せておもしろかったです
その花の名前を教えて欲しかった 私の話をして欲しかった
【別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。】
川端康成『化粧の天使達』より
上の句はここから浮かびました “その”花と詠みましたが、特になにかの花を指しているわけではないです
担任でも副担任でもなかったので私と話すことも私について話してもらうこともなかったのですが、私についての印象とか聞いてみたかったです 印象を持ってくださっていたのかわかりませんが… 一度私が濃厚接触者になって一週間休んだあと、(zoomでは授業受けてた)久しぶりに対面で授業受けたときに「元気か」みたいな「久しぶりやな」みたいなことを言ってもらえたときは走り回りたくなるぐらいテンションが上がりましたね でももうなんて言われたか覚えてなくて今めちゃ寂しくなりました
“あなたを忘れるのがこわい、あなたに忘れられたくない”という歌
思い出を勝手に貰うあなたのをあなたと私の思い出にする
第一印象が静かで堅い人なのかな……だったんですけどいざ授業を受けてみたら自分の話をたくさんしてくれて、しかもそれが全部おもしろかったのがすきポ(すきポイント)でした 話してくれた先生の過去を大事に大事に抱えてしまっている 重たい自覚はあるし、結構ギリギリのところにいる気もしている まだセーフだと思いたいけど客観的に見てこれはどうなんだろうか……大丈夫ですか?(?)
先生と呼べなかったな数十センチ先にいたのに測定不能
去年一年間、座席が一番前かつド真ん中で(自ら望んでその位置にしてもらってた)先生との距離が自分の机と教卓分しかなくて本当に数十センチ先にいたんですけど私多分1回も「先生」って呼んだことなくて…… 先生が居ないところではこんなに呼んでる(詠んでる)のに対面すると人見知りが発動しっぱなしでしたね
もし花を贈ればもしも名を呼べばもしもしお元気ですかと言えれば
基本的に関わりがゼロだったので短歌のほとんどがifの話 「もし」「もしも」ときていいリズムだなと思ったらもう次は「もしもし」しかなかったです このifの先にはなにかあるのかな〜 もしもの話はどこまでいっても“もしも”だから楽しいのかなと思います
「左様か」と静に解を導いた彼の右腕になれるわけなく
先生の口癖で、生徒の答えといわゆる模範解答が違ったときに「左様か」って言っていたのが好きポでした 自分が答えたときにそう言われたら絶対焦りまくってましたけどね(笑) そして文字にして左という字を改めて見たときパッと右腕というワードが浮かんで、先生の右腕になれたらとてもしあわせなんだろうな、なれないけどと思った結果の歌 左と右で対になるやんイイね!っていう軽い気持ち8割(ほぼノリなんかい)
この1は1番なのかそれかただ数百人いるうちの1人か
これは本当に自慢でしかないんですけど(最悪の入り)高校に入学してからずっと現代文だけはコース1位の成績を死守していて、そこからできた歌です 私にとって通知表に載る1という数字は1番の「1」だけど先生にとって私は数百人いるうちの1人でしかないだろうなという歌 私がずっと1位でいたことになにか感じてくれていたのならうれしすぎて泣いてしまいます それを確かめる術はもうないけれど 算用数字と漢数字の併用きもちわるいかなとも思ったんですが1を強調したくてこうなりました やっぱりちょっと違和感があるけど
アイドル短歌も基本ラブレターだしこれは完全にラブレターだし私の詠む短歌はベースがラブレターなんだなって改めて実感しましたね 届くか届かないかが相手に委ねられてる(自分では確かめられない)からこんなにストレートに詠めてるのかな 良いのか悪いのか、匿名性を利用しまくってるじゃないか…………
あとはアイドル短歌よりも対象(人)を想って詠んでいた気がして、古今和歌集とかに収められている恋歌を詠んだ人たちはこんな気持ちで詠んでいたのかな…って思いました(授業での感想?) 寂しいとか悲しいがベースにあるときに詠んでるので全部暗いし重い…
アイドル短歌もその人を想って詠むけどそれよりもその人のイメージとかその人を見る自分について詠むことがおおいのでまた新しい詠み方ができておもしろかったです!🥴